世界構想圏 ~森本純輝の社会思索ラボ~

「個の内包的全体性」から模索する社会理想像のアプローチ

当ブログの方向性と時代の混迷の先に描くもの

更新がだいぶ間を空けてしまい、大変ご不憫をおかけした。

現在書き溜めている記事はだいたい11記事くらいにまで達しており、ぼちぼち投稿していってもいいのではないかと思える数に到達している。

それでも、記事の更新にまでなかなか至らない明確な理由というのは実は存在せず、単に「しようしよう」と思って書き溜めているだけ、というのが実情である。

故に、そろそろ実行に踏み切る必要に駆られるかと思うだが、その前にそもそもの大前提として、なぜこのブログを更新するのか、その背景はどのようなものなのか、そういったことを、前回紹介した「このブログの目的とするところ」に付随する形で、改めて発信してみようと思う。

 

コロナが収束する展望が見えかけているのか、それを明確に断言することはできないが、現在新たな危機として浮上している食糧危機に加えて、預金封鎖や世界的な経済破綻、第三次世界大戦など、もっと大きな脅威が雪崩のように押し寄せてくるのは、今の私の見地から見てみても、それは疑いようのないほどに明白である。ただでさえ疲弊しきった現代に、上乗せされるようにして次々と危機が起きるのは、ナオミ・クラインが言うところの「惨事便乗型資本主義」の台頭と深い繋がりがあるような気がしてならない。それがたとえ陰謀論に位置づけられている「世界政府による市民の超管理社会の到来」―実際上、世界政府の発布は既に公になされている―にしても、これから今まで儚くも平穏だった日常があっという間に崩壊していく世界にたちどころに変貌するであろうことは、様々な学者や見識者の視点から見ても明確にうかがえる通りである。

 

そんな危機の山積する現代において、我々はどのような展望を見い出し、どのような道を歩んでいけばいいのか、まさに迷走していることもまた明白な事実である。ところどころに新しい視点に基づいた「旗振り役」が世界を牽引しようと奮起している事柄はあっても、その背中を本当に信頼して追っていくような気配が人々の中にあるのかどうかと問われれば、それもまた完全には断言できない状況がある。それが新秩序に基づく動きだとしても、例えばSDGsが掲げるような「誰一人取り残さない社会に」というスローガンの標榜が圧倒的に明確で真に確実な航路を指し示すようには思えない。なぜなら、それが陰謀論で意味するところの「権力の超一極集中型社会の到来」であることを陰謀論の視野であってもなくても、その裏に気づいているがゆえに、実際の現実に「この地球に住む全ての人々」が一丸となって取り組める目標として確立されることはほぼ不可能であることは明白であること、そして、その「権力一極集中」の先に見えてくるような新たな展望を描くような先導者の存在が皆無であることなどが起因するように感じられるからである。つまり、情報錯乱が一過性を増していくこの時代において、「今ある現実」だけに目を奪われてしまい、その先に描くべき発展的で建設的なビジョンがなかなか具現化させることができない人々で世界が覆われているから、ということである。

「情報の正誤」にこだわるということは、「それこそが万象の絶対的な答え」であるかのように人々の感情を固定化させてしまう、いわば「ポスト真実」といった事態に陥ってしまうことでもあり、それはかの著名な見識者であるマルクス・ガブリエル氏が陰謀論の決定的な論拠の欠如の意味で述べているように、それは対立や分断を著しく助長することになり兼ねない現実を生み出してしまう。

私は前回にもお話したように陰謀論に位置づけられる大抵の情報のことは受け入れているし、その反対の立場や視点を取る人々の心情もおおむね受け入れてはいる。ただ、ここでどちらの立場にいる者なのか、と問われた時、そもそもにおいてその問い自体が不毛である、と答えるしかない。私は情報自体に感情移入することで誰かを攻撃したり、非難するような立場を取る存在には決してならない。いかに一つ一つの情報に正当性や明確な論拠、あるいはそれに基づく証拠があったとしても、それを主張したところで反対する人がいるのは明白だし、それは建設的な対話や発展をまるで生みもしないことに気づいているからである。本当に強いて言及するならば、陰謀論の情報を知ってはいるけれども、それを不合理に強要したりはせず、あえてその反対の立場や見解を持つ人たちの心情を鑑みて発言をするように常々気を付けている次第である。

とはいえ、どうしても危機に直面する事態が近いうちに訪れることを考えれば、どのみち耳を傾けてくれる人たちに警告を発したり、注意喚起したい思いがあるのは否めない事実ではある。それを持ってしてもそれでも理解が難しければ、それはそれでその人に不幸が降りかからないように最善を祈ることだけである。

 

そうは言っても、結局何かを変えなければ変わるものも変わらない。日本の滅亡と世界の崩壊が目前に見えているのなら、何かをしなければならない。それが蓋然的な行動の帰結でもある。よって、「自分には何ができるのか?」を考えた時に、私が一番始めにできることは「未来のビジョンを鮮明に描いて、それを広く伝播させること」だと気づいた。前回も述べた通り、私にはほぼ永久的に継続可能な「世界の調和」を―テクノロジーが主軸にはなってしまうが―明確なビジョンとして描いている。小説という分野を生業にしようと決めたのも、そのような背景があるからだ(単に「作家になりたい」という夢から始まったのは事実ではあるが)。

 

以上の見地を踏まえて、私は―そんな自分もまた「旗振り役」の一人として認識されてしまうことは避けられないものの―自身が描く恒久的な平和の実現へのビジョンを小説、あるいはこのブログを通して広めていく予定である。その具体的なビジョン、それを「SFプロトタイピング」とでも呼ぶような見解については日を追って明らかにしていこうと思う。陰謀論でいうところの「彼ら」に先を読まれては困るからだ。然るべきタイミングで、だが、トップダウンボトムアップの両方をうまく使いこなしながら答えを安易に出すことなく「社会のあるべき最善の姿」の完成を目指して、このブログを更新していければと思う次第だ。

 

このような大きな目標を掲げる私のブログを読んで下さる方がいるだけで、個人的には有り難く思う所存である。その目標がどこまで功を奏するかはわからないが、自身の描く終着点を目指して邁進していこうと思う。